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【 No Border!の「YOJO」は、  人間の真の自由を実現する勇気と智慧と愛の力の大系。 『ひとりの人間の持つ力は、ほんとうは、すごい!』  新潟県長岡市の山古志で、人生をかけてそれを人々に示

  • info22948
  • 2015年8月23日
  • 読了時間: 6分


亀井眞樹(本人)です。 いまこの瞬間も いつ終わるともしれない苦痛と不安の中にいる人や 「治らない、治せない」と言われて 希望を取り上げられてしまい いまどこかで、ひとり暗闇の中でうつむいている人々が 希望を取り戻し、奇蹟に向かって最初の一歩を歩み始める。 それを実現することが  「 病気があってもなくても   亡くなる直前まで元気でいて   ありがとうと言ったり言われたりしながら   誰かのために働いて収入が得られて   自分の思うように自分の人生を生ききる」 ということとならんで  「YOJO」の大事な目的です。 それを支えることができるのは ひとり医師のみにあらず。 むしろ、医師ではだめなこともあるかもしれない。 医師・歯科医師・薬剤師・鍼灸マッサージ師・柔道整復師・ 整体師ほか 今日もどこかで 真摯に患者(顧客)と向かいあう あらゆる臨床家の先生方のために そういう先生方であれば 人々を支えることができるはず。 そのために 因習に縛られたあらゆる壁を取っ払い 相互に学び合うための土台を作る。 それが、「No Border!」な

「YOJOエキスパート養成講座」 の使命です。 「YOJO」を構築するにあたって私がその根底においたのは 『私たちひとりひとりの、普通に生きる人間が  ふとしたきっかけで、ひとたび動き始めると  とてつもないパワーを発揮する』 というひとつの可能性に、思いきり体重を預けるようにして 『信頼を置く」 ことでした。 我が身を振り返っても 至らぬこと だらしないことを 数え上げたらきりがありません。 でも、それが人間のありのままの姿です。 □---------- 東京大学医学部医学科で 私が最初に受けた臨床講義は 自分の母親の死後 彼女の臨床経過と病理解剖の結果を付き合わせて そこから臨床的な何事かを学び取るという CPCといわれる講義でした。 私を身ごもり、この世に送り出してくれた子宮。 私を見守り、いつもきにかけてくれていた脳。 それらが次々とスライドで映し出されるのを だんだん見られなくなってきた私は 階段教室の最後方で 涙でにじんで見えなくなっている 2枚のプリントにまとめられた母親の人生を  ただただ

指でそっとなでていました。 医師になってから28年が経ちました。 神経内科の専門医となり 私の母や弟のように 望まぬ死を受け容れざるを得ない人々のすぐそばに 私は身を置き続けてきました。 そして「YOJO」を創造しました。 その過程で、最後まで迷いが振り切れなかったことが ひとつありました。 それが先に書いた『信頼を置く』というでした。 □---------- さて、昨日は「YOJOエキスパート養成講座」の案内を お休みさせていただいて 新潟県長岡市の人口1000人余の山古志に行っておりました。 松井治二さんというひとりの小柄な老人に 永久(とわ)のお別れをするためでした。 そして期せずしてそれは 自らに誓いを立てるひとときとなりました。 これ以上はないくらいさわやかな笑顔が たまらなく素敵だった松井治二さん。 彼は、南総里見八犬伝でも取り上げられたほど かつて日本中で有名だった山古志の闘牛 「牛の角突き」 が、高度成長著しい日本社会の中でいつの間にか 途絶えてしまっていたものを たったひとりで復活させ 地域の大人にもこどもにも夢を与え 国指定重要無形民俗文化財に指定されるまでに育て上げた人です。 そして松井治二さんが蘇らせた「山古志の牛の角突き」は いまや世界の無形文化遺産登録への道を歩み始めています。 この「生きる伝説」であった松井治二さんこそ 「YOJO」構築にあたって 『私たちひとりひとりの、普通に生きる人間が  ふとしたきっかけで、ひとたび動き始めると  とてつもないパワーを発揮する』 というひとつの可能性に、思いきり体重を預けるようにして 『信頼を置く」 ことにまだ迷いがあった私の、その迷いを 吹き飛ばして下さった 「心の師」 なのです。 私が松井治二さんとはじめてお会いしてから5年。 最後にお会いしたのは、先月。 体調を崩されて入院されていた病院でした。 末期がんでした。 時間にして30分くらいでしょうか。 その深刻なご病状にもかかわらず 身体を起こし まっすぐ私に向かい合い 松井治二さんを知る人なら誰もが知っている 少年のようにきらきらした透き通った瞳と これ以上はないくらいさわやかな笑顔で 「山古志の牛の角突き」 の未来について語って下さいました。 「先生は、先生が思うように  まず自分から  いつも自分から動いてみるといい」 これが松井治二さんから何度かいただいた言葉です。 過疎化が進む地方の中山間地域の人口1000人の村の ひとりの老人のお通夜に 臨時駐車場が設置され 何台ものバスで人々が訪れ 10台設置されたご焼香に 人々が列をなして参列。 その通夜は 悲しみとともに 期せずして 参列者一人一人が 松井治二さんというひとりの生身の老人であった故人の前で 真摯に 自分自身に、それぞれが何事かを強く誓う そういう、なにか大きなものにつつまれた ひとときとなっていました。 □---------- 「なぁんにも 特別なもんなんか ない。  無理せず  焦らずに  よぉく考えて  自分でなんかやっていれば  かならず何か起きる。  かならず何か変わる。  だから先生ね。  先生は、先生が思うように  まず自分から  いつも自分から 動いてみるといいんだ」 松井治二さん、ありがとうございます。 そういって 澄んだ目でさわやかな笑顔を見せて下さったことを 私は終生忘れません。 あなたに教えていただいたとおりに あなたに背中を押していただいたとおりに 私は「YOJO」を力の限りやり遂げてまいります。 ここまでお読み下さったあなたに、お願いがあります。 YOJOは私が創造しましたが 産み落とされてそのままでは 死に絶えてしまいます。 松井治二さんをはじめ、たくさんの人々の教えが 『人間の真の自由を実現する勇気と智慧と愛の力の大系』 として結晶化したこのYOJOが 育っていくためには あなたのお力が必要です。 私のためではなく あなたにとって大切な誰かのために ぜひこのYOJOが育っていくために あなたの力をお貸し下さい。 よろしくお願い申し上げます。 最後までお読みいただき ありがとうございました。 松井治二さんのご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。 Photoは山古志の闘牛場での、在りし日の松井治二さん。 私が着ているのは「山古志魂」のTシャツです。 ▷「YOJOエキスパート養成講座」お申し込みについては   こちらにご登録を。お申し込みのお知らせが届きます ◁   → http://goo.gl/forms/ub2TL8Wd8p


 
 
 

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